その日森で降る雨は、僕が初めてこの大地に降り立ったときと同じように、強さを増していくばかりだった。あの日のようにまた濡れ鼠になるのも嫌だと思ったのもあり、自然と歩みは駆け足になる。傘は持っていない。苦手なのだ。あの、風の力を流せないことには上手く扱えない道具が。この雨も、冷たくないから平気だろう。

僕自身は身にまとうそれを『ローブ』と呼んでいるが、形状としてはマントであるそれに付いたフードを深く被り、雨をしのぎながら目的地に向かう。もう何度となく通った道だ。迷うことはないし、目的地には光がずっと灯っている。温もりのある光は、耐えることなく辺りを照らしている。温かな光の正体は、一軒の喫茶店。僕の馴染みの店。 光の先にある扉を開けば、ドアベルの音と共に、朗らかな声が聞こえてくる。 「あらあら、タイミングが良いんだか悪いんだか」 「……どう考えたって悪いに決まってるでしょう」 僕の悪い癖である不機嫌そうな発言を、嫌な顔一つせず受け止めたこの店の女主人は、 「それはどうかしら」 と不敵に笑みを浮かべる。走ってきたばかりで、息を整えなくては落ち着いて話もできない状況だと言うのに、彼女は「早く早く」と言わんばかりに僕に手招きをした。 カウンターの奥を覗くと、そこにあるのは輝いている赤色でいっぱいの光景だった。ボウルにいっぱい、トレイや皿の上にもいっぱい。瑞々しく熟れた苺の色は眩かった。

「飾り切りの練習中だったのよ。定期的にやらないと、腕が鈍っちゃう。最後には砂糖と煮詰めてジャムにしちゃってもいいけど、どうせならフレッシュなまま食べていただきたいの。折角ご来店頂いたわけだし。何を作れば貴方の口に合うかしら?」 「そう言われても。……僕の好みくらい、貴女はすぐに言い当てるに決まってる」 「あらら、そうね。じゃあタルトにしたいところなんだけど、生地を焼くのに時間がかかるわよねえ。かといって、フルーツサンドは貴方そんなにそそられないでしょう。なら、あれにしましょう」 ニヤリとして、彼女は人差し指を自分の顔の前で立てた。 「いちご大福」 僕はにわか信じがたく、驚愕した様を隠さずに顔と声に出す。 「飾り切りした苺を……大福に入れてしまうんですか……」 「駄目かしら?」 「駄目ではないが、断面すら見ないものに使うのは勿体ない気がする。僕が見栄えをあまり気にしないことを知ってる癖に」 「でも貴方、いちご大福は好きでしょう?」 「好きですよ、そりゃあ」 彼女は人の食の好みを言い当てるのが得意だ。しかも、もう長い付き合いであるからだろうか。僕の好みを「そりゃあ」で括ってしまえるくらい、的確に言い当てていた。甘党な僕はタルトも好きだが、いちご大福はもっと好きだった。甘いものの前で嘘はつけない。

しばらく考え、僕はフードを脱ぎながらぼんやりと呟く。 「出来たてなら、ピリッとしないのかな」 「なんて?」 「いちご大福って炭酸の刺激があるじゃないですか、時間置いたものだと。出来たてを食べたことがないから、その辺りを知らなくて」 「あら。じゃあ決定ね、作りましょう。求肥に出来る粉が確かまだあったはずなの。こしあんも、既製品で良ければあったはず。作れるわ。だから少し時間を頂戴ね」 「貴女に渡す時間ならいくらでもありますから、焦らず」 「……嬉しいことを言ってくれるわね。ありがとう」

先にお礼を言われてしまったら、僕は何を言えば良いのかわからないじゃないか。そんな気持ちを己の内に留め、僕は靴についた泥を外で落としてきてから、ゆっくりとカウンター席に腰掛けた。いつものテーブル席でもいいが、今日はきっと、この人の手先の器用さを一緒に味わう日なんだろう。これは高くつきそうだ。相応のモノを用意しないと。そう思いつつも、今はただ、彼女が楽しそうに調理する姿を眺めるだけの時間を過ごすことにした。 「それは僕の言葉ですよ」――そう言いたい気持ちは、ずっと手で握っておかなくてはならないんだろう。この店に通う限り、ずっと。


個人サークル「window p~ce」は3月3日が設立日です! 文字数:1632字